〜ピアサポートみなとの仲間の喜ばしい船出によせて〜
どんなに素晴らしい事を行なっていても、伝わる様に努力しなければ、誰にも知られずに終わるのかもしれません。
それも悪くないのかもしれません。
私はひっそりと控えめに生きてきました。
でも今は、楽しく喜びを分かち合い生きていく方が良いと思うです。
今こそ主体的に生きたいと、自分や周りの人を幸せで満たして行こうと祈る様に生きています。
その方が楽しいですし、リカバリーに近づく生き方ですよね?
高校卒業後の私は、父の行う自営業を手伝う傍ら自動車免許を取得して、、、町内の法事や道路の掃除、父方、母方の墓の草取り掃除、親戚の病院への送迎、弟の通勤の為の駅までの送迎、に明け暮れました。
何の為に生まれてきたのかわからなくて、
何をやっても味気ない、何の楽しみも持たず全てを諦めた様に生きました。
30年ばかり前の事、母は視力を失いかけて、私は体調が悪いながら家事に追われる毎日でした。
幼い頃から仕事の電話の応対などの他、セールス電話以外には誰かと関わる事もなく、孤独という言葉だけでは足りない悲痛な寂しさの中、音楽だけが救いでした。
私が成人した頃から何度か町で見かけた友人から、「失恋して傷ついた」との電話がありました。
青春してたんですね。
私は、その人がうらやましかったのかもしれません。
何故か怒りに似た感情が沸き起こり、「どうして私がそんな話を聞かなくてはならない?」って言葉が思わず溢れました。
私は初めて気づきます。私は自分自身の人生を「全く楽しんでいません」でした。
真っ暗な気持ちになりました。その気づきは、「心に光を求めて生き始めるきっかけ」になりました。
「夜明け前が一番暗い」のだと言います。
「明けない夜はない」とも言います。
ピアサポートみなと の活動の中で、過去の私の様に「何のために生きているのかわからない」「意味がわからない」と嘆いていた方がいらっしゃいました。
最近その人からの連絡で、「楽しみを見つけられて、その為になんとか復職できました」と嬉しい連絡が入りました。
何を楽しいと思うかは、人それぞれですが、「楽しい事を見つけられるって素晴らしい」と、とてつもない喜びの中で、みなとを出て行く船を見送る心境です。
どうか皆さんが、楽しい事、喜ばしい事を毎日を満たして笑顔で過ごされますように。
私は何のお手伝いもできないかもしれませんが、今日も同じ空の下で心から祈っています。
コメント
船出を見送り、再び迎える。
みんなの心の母港でありたいですね